身体美学美学的女性評

安室奈美恵

2016年7月10日

平成随一のスター歌手。
最初は女性グループの一員としてデビュー。
しばらくは売れない時代が続く。
やがてジリ貧打開のためグループの形態を変更。

彼女だけを前面中央に立てて引き立たせる。
他のメンバーはバックダンサー、引き立て役。
変更にしがたいグループ名も改変。
当初は冠なしのスーパーモンキーズ。
変更後は安室奈美恵withスーパーモンキーズ。

するとほどなくしてスターの階段登り始める。
彼女の潜在能力が存分に発揮されていく。
他のメンバーは変更を不満なく受け入れたという。

つまり彼女の突出した実力を皆認めていた。
結果的に彼女は一人のスーパーモンキーとなる。
脇役となったモンキーズとは徐々に離れていく。
ソロ主体となり、ソロとして成長していく。

全身坐像

スターとしての際立った個性、特徴はダンス。
単なる歌の振り付けではなく、本物のダンス。
歌手なれどダンサーでもある。

つまりどちらがメインというより両立もしくは一体。
どちらも欠かせない表現手段。
歌とダンスの融合であり、いわば歌うダンサー。

これは時代の文化でもある。
世界を見ても同じスタイルのスターが全盛。
マドンナやマイケル・ジャクソンなどが代表例。
レディー・ガガもしかり。
安室はマイケルより妹のジャネットに憧れていた。

中森明菜はバレエの素養を生かし、美を表現。
歌の振り付けに芸術性を織り込んだ。
歌唱力と相まって、表現力を高めた。
安室より一時代早く、先駆者と言える。

大御所B・ストライサンドはダンスも踊れるが歌は別。
視覚より圧倒的な歌唱力で観客を自分の世界に引き込む。
古い、新しいではなく音楽的世界、スタイルの違いだ。

下の二つの画像はダンサーとしての資質を反映している。
立ち姿で姿勢を作ると水をえた魚のように自己表現できる。
五体に身体表現するための神経が張り巡らされている。
手足の先にまで美意識が通う。
姿勢を作らないと並みの人になる。

半身立ち姿1 半身立ち姿2

身体表現する方が表情も生きてくる。
可愛い笑顔を振りまくより、板についている。
本人も心得ているのか、笑顔のグラビアは少ない。
ダンサー安室の個性、特徴だ。

沖縄出身だからか、米国文化の影響を強く感じる。
日本より米国の歌手の影響が色濃い。
ダンスはもとより歌、音楽についても。

ただしまったく同じでもない。
身体表現はしても、身体の露出はしない。
あちらは露出、強調がR指定が必要なくらい派手。
マドンナ、マライア、ビヨンセ、ガガなど一流どころが。

奥底に日本の文化が根付いているからか。
あるいは身体性の違いを意識してか。
確かに日本人が真似しても馴染むとは思えない。

彼女は実力、実績からして平成のスーパースター。
彼女以後、匹敵するスターは見当たらない。
最後のスーパースターなのか。

彼女自身も国民的歌手ではないかも知れない。
誰もが彼女の歌を知っている訳ではない。
代表曲をどれだけの日本人が歌えるか。
知らない人の方が多いかも知れない。

それもそのはず曲のほとんどが英語名の英語表記。
日本語は日本語混じりがわずかにあるだけ。
逆に英語なしはゼロ。アルバムはすべて英語名。

知らない人なら「どこの国の歌手?」と聞くだろう。
年配の人が知れば疑問を感じるだろう。
日本人なのになぜ日本語を使わないのか?と。

彼女の音楽性が洋楽志向だからか。
あるいは時代の文化なのか。
実績からして両方と考えるのが妥当か。
スーパースターは時代の表現者でもあるからだ。

誰もが口ずさむ歌を歌う歌手、国民的〜。
もはや成り立ちえないのか。
平成を代表する安室奈美恵も当てはまらない。