身体美学美学的女性評

吉永小百合

2014年1月6日

十代の顔アップ 十代の正面笑顔

昭和を代表する女優、歌手の一人。
特筆すべきは最後のアイドル女優であること。
映画の黄金期のピーク、斜陽に向う手前で登場、銀幕を飾る。
可憐な魅力で時代を象徴するスーパーアイドルとなる。

清純派の代表でもある。可憐な清純派が不動のイメージ。
昨今は死語のごとく、あまり聞かない表現だが。

十代からスターとして多忙な中、大学(早稲田)を出ている。
知性もイメージの一つかも知れない。
可憐で知的な清純派として存在感を高める。
時代のマドンナともいえるカリスマ性を持つに至る。

その後も一貫してイメージを崩していない。
欧米の女優でいえば、オードリー・ヘプバーンに近い。
オードリーも気品のある淑女のイメージを貫いた。
世紀の妖精と称される所以だ。

男優なら高倉健に近いだろうか。
伝説的なイメージを崩さないという点で。

一貫性故か人気の根強さも特筆に値する。
いいかえるとカリスマ性の根強さ。サユリストは不滅!。
ファンの通称だが、今も変わらないファンが多いという。
すでに半世紀経過しているにもかかわらず。

彼女は歌手としても多くのレコードを出している。
それでも女優のイメージの方が強い。
映画の時代の生え抜きとして、女優業を主体にしているからか。

ジャケット画像1 ジャケット画像2 ジャケット画像3 ジャケット画像4

彼女以降、アイドル女優は生まれていない。
魅力的な女優がいなくなったいうことではない。
女優にアイドル性が成立しなくなったのだ。

時代の主役はアイドル歌手に移行していく。
代表の一人が山口百恵。彼女は女優の仕事も多かった。
それでも本業は歌手、輝きの主体は歌にある。

最近はスター自体生まれなくなってきている。
いいかえるとカリスマ性が。
言葉自体はよく聞くが、本物はきわめて少ない。

NHKの大河ドラマのヒロインですら例外でない。
顔も名前も同ドラマを見る人しか知らない。
見ない人たちの間では、無名に等しい。
同ドラマ自体の人気も低落傾向にある。

女優の価値は個性に集約してきている。
どんな個性を演技、発揮できるかが存在価値。
今や大女優の泉ピン子も元はお笑い芸人だった。
彼女はどんな美女にも負けない存在感を発揮できる。
容姿はあまり関係ないのだ。

結論として吉永小百合の再来は、もはやありえない。
彼女は時代が求めていたときに登場した。
スターに共通する基本的要素だ。

下の画像は最近の広告。
往年の可憐さから大人の気品、マドンナの気品変わらず。

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