身体雑学20

 ■ 身体美学の姉妹編、雑学的な内容

五輪特集1

「どさ回りのみじめさがある。」
かつて日本の某有名作家が、日本の女子体操を評した言葉だ。

女子体操と言えば美を競う競技、名選手は名花、妖精などと讃えられた。
名花チャスラフスカは美貌、肉体美、華麗な演技で日本人に鮮烈な印象を与えた。
ボッティチェリの絵画の肉体美のリアリズムが、日本人を圧倒するように。
上記作家の酷評は、日本の女子体操の世界との落差を嘆いたものだった。

同時代、男子体操は逆に世界の頂点に君臨していたのだから皮肉な限り。
その後も各大会、その時々にヒロインが現れるがほとんど欧米人。

日本人すら日本の女子体操選手の名前をほとんど知らない。
チャスラフスカやコマネチは、今だに記憶されているのにである。
国内にはそれなりに女王と言われる選手も存在するのだが。
引退後ヌードになったあげくシャブで捕まった元女王もいた。

女子体操だけの問題ではない。

上記の構図は今でも基本的に変わっていない。
今どんな選手が活躍しているのか、どれだけの日本人が知っているだろうか。

さてこの厳しい現実はいったい何が原因なのか。
口の悪い人は美人だけ選抜して育てるべきなんて言うだろう。
だが事はそれほど単純ではない。

落差を感じるのはやはり世界に出た時、欧米との対比の中で鮮明になる。
五輪種目の女子体操は、世界に出て対比されるからこそ目立つ。
国内だけの競技だったら、どさ回り云々のごとき酷評は出なかったろう。

日本人が美を表現する競技や芸術で、世界と対比される機会は少ない。
つまり女子体操だけの問題ではない。その意味で選手達は気の毒ではある。
男子との格差も男子は技術中心で、文化的な差が出にくいことが大きい。

女子体操は単に、文化の差をまともにかぶってるいるだけだとも言える。
他の分野では表面化しにくいだけで、けっして人ごとではない。
女子体操を日本人が酷評するのは、天につばを吐くに等しい?。

例えば日本の芸能人はほとんど国内か、文化的に近い東アジアだけが活動範囲。
欧米と直接対比される機会はほとんどない。

多くの欧米スターが来日公演するが、日本のスターが同じ舞台に立つことはない。
松田聖子がマライヤ・キャリーやマドンナと競演することはありえない。
彼女が米国進出に挑戦して初めて欧米との対比が起こる。
女子体操と同じ立場に立つ。
ようするに欧米と同じ舞台に立つと、文化の違いがあらわになる。

松田聖子の米国進出も出てきた結果は女子体操と同じだった。
それでも現実を知らしめたという点で、勇気ある挑戦は無意味ではなかった。