身体雑学21

 ■ 身体美学の姉妹編、雑学的な内容 2001年以降 

奇形児の青春

障害者でありながら社会で活躍している人も少なくない。
有名な人もいるし、ここで実例を上げるまでもない。
ハンディを背負っての活躍だから、立派なことは言うまでもない。
それを評価する社会も健全なように見える。

だが世の中にはそれとは別のハンディを背負っている人がいる。
体は五体満足の健常者、しかし人格の看板たる顔に異常がある場合だ。
体は健常者だから普通に社会生活ができる。

だが目に見えないハンディを背負わされ、差別から免れない。
人前に出る職業にはまずつけない。健康にも拘わらず恋や結婚も難しい。
その苦悩は健常者にははかり知れない。

顔は証明書でもあるだけに、社会に出れば出していなければならない。
しかし出せば本人には何の罪もないのに、嫌悪感やあざけりから免れない。
人間社会は彼らを傷つけずにはおかないのが現実だ。
社会がタブー視している傾向もあり、マスコミもめったに扱わない。

映画「エレファントマン」では、奇形の主人公が見せ物にされていた。
極端な奇形の人はまずまっとうな生活はできないであろう。
これは健常者を責めても解決しない。
人は社会的同一性を本能的に求めるものだから、どうしても異形を嫌う。
健常者間でも美醜で差別があるのだから、それが現実としか言い様がない。

当サイトは美がテーマだが、こういう問題も考えない訳にいかない。
これもまた顔の本質を表しているからだ。

傷だらけでも幸せ?

横並び同質社会の日本では、奇形の人は社会から隔絶されることが多かった。
家の中に閉じ込もり、息をひそめて生きるような生活を強いられた。

米国のCBSテレビ制作のある奇形児のドキュメントが、以前放送された。
大筋を紹介しよう。
米国の文化人類学の学者夫婦が、南米のインディオを研究していた。
南米の奥地の部族の元に赴き、しばらく彼らと生活を共にした。
そこで異様な奇形児を発見。

両親はこの子を最後まで養育できるだろうか。
部族に受け入れられるだろうか。人として生きていけるだろうか。
悲惨な結末の可能性が高いと判断した夫妻は、彼を引き取ることにした。
白人夫妻の養子となった彼は、米国での生活が始まる。

鏡を知らない彼は自分の奇形を知らなかった。
しかし幼くてもすでに健常者のイメージは刷り込まれている。
自分も同じ姿であると認識していたはずだ。

夫妻は彼が新しい生活になれた頃、事実を知らせる決心をする。
幼い彼に鏡の中の恐ろしい事実が突きつけられた。
彼のショックは尋常ではなく、号泣したという。

放送ではその写真も映していた。
読者は知りたくないかも知れないが、事実は書いておこう。
顔に鼻がつくべき間隔がなく、目の下にいきなり口があるいう感じだ。
(後は想像にまかせる。)

養子にした夫妻も偉いが、彼もまたそれに応える勇気があった。
事実を受けとめた彼は、幼くして戦いの日々が始まる。

戦いとは手術だ。治すには骨格から造り変えなければならない。
成長に合わせて少しづつ骨や皮膚を顔に移植していった。
数え切れないほど手術がくりかえされた。

放送当時彼は大学生になっていた。彼の顔はどうなっていたか。
大事故で顔を激しく損傷したが、一命を取り止めた人。
彼の過去を知らない人が見れば、そう想像するだろう。

健常者が顔に大けがして、治癒した後の感じに見えるのだ。
つまり無数の傷跡(手術跡)はあるが、奇形が分からないまでになっていた。
健常者がその顔になれば、ショックで生きる自信を失うかも知れない。
だが彼には堂々と人前に出ることができる勝利の徴だ。

傷や歪みがあっても、人の顔になったのだ。
好奇の視線は常に浴びるが、彼は明るい大学生活を送っている。
日本的な精神論で言えば、どんな美男美女よりも輝いているであろう。
これからの人生が幸運に恵まれて欲しいものだ。

彼のような過酷な運命を知ると、自分の甘さを思い知る?。
それはともかく顔が人格の看板であることを改めて認識させられる。

まがりなりにもまともな顔なら、神に感謝して大切にしよう。
造りはともかく表情は自己責任、不細工な表情くらいは改善すべきだ。
彼の戦いと比べたら、それくらいは努力の内に入らない。
小さな努力で大きな効果が得られるはずだ。