身体雑学2

奇形児の青春

社会で活躍している障害者も少なくない。
ハンディを背負っての活躍だから尊い。
受け入れる社会も健全なように見える。

中には障害なきハンディもある。
五体は満足なれど顔に造形的変異がある場合。
体は健常者だから普通に社会生活ができる。

顔は人格の看板であり、絶対身分証明書。
顔の異形はハンディとなり、差別から免れない。
人前に出る職業にはまずつけない。
健康にも拘わらず恋や結婚も難しい。
その苦悩は健常者にははかり知れない。

顔は証明書だけに社会では露出が求められる。
だが出せば嫌悪感やあざけりから免れない。
本人には何の罪もないのにである。
人間社会は彼らを傷つけずにはおかない。

映画「エレファントマン」は奇形児が主人公。
五体満足だが顔がひどい異形。
見世物小屋で怪物扱いで見せ物にされていた。

顔が奇形の人は社会生活が難しい。
これは健常者を責めても解決しない。
人は同一性を本能的に求めるから異形を嫌う。
健常者間でも美醜で差別があるのだから。
それが現実としか言い様がない。

美学は美が主題だが、この問題も無視できない。
これも顔の本質を表しているからだ。

傷だらけでも幸せ?

日本で奇形の人は社会に出ないことが多かった。
家族が隠したり社会から隔絶された。

米国である奇形児のドキュメントが以前放送された。
大筋を紹介しよう。
文化人類学の学者夫婦が南米の奥地でを調査していた。
原住民のインディオとしばらく生活を共にした。
そこで異様な奇形児を発見。

両親はこの子を最後まで養育できるだろうか。
部族に受け入れられるだろうか。
人として生きていけるだろうか。

悲惨な結末を予想した夫妻は彼を引き取る。
夫妻の養子となった彼は米国での生活が始まる。

鏡を知らない彼は自分の奇形を知らなかった。
夫妻はいつ知らせるか時期を見計らっていた。
生活に完全になれた頃、知らせる決心をする。
幼い彼に鏡の中の恐ろしい事実が突きつけられた。
彼のショックは尋常ではなく、号泣したという。

放送ではその写真も映していた。
大まかな事実は書いておこう。
鼻の間隔がなく、目のすぐ下に口がある感じ。

夫妻も偉いが彼もまたそれに応える勇気があった。
事実を受けとめた彼は幼くして戦いの日々が始まる。

戦いとは手術、骨格から造り直す必要がある。
成長に合わせて少しづつ骨や皮膚を顔に移植。
数え切れないほど手術がくりかえされた。

放送時大学生になっていたが顔はどうなっていたか。
事故で顔を激しく損傷したが一命を取り止めた人。
事実を知らない人が見れば、そう想像するだろう。

顔に大けがして治癒した後の感じに見えるのだ。
つまり無数の傷跡(手術跡)と歪みはある。
しかし奇形が分からないまでになっていた。

健常者がその顔になれば生きる自信失うかも知れない。
だが彼には幾多の手術で勝ち取った人前に出られる顔。
出発点が地獄だから抜け出せばどこも極楽に感じる。

好奇の視線を浴びることは多い。
しかし彼は明るい大学生活を送っている。
日本的な精神論言えば、どんな美形より輝いている。
これからの人生が幸運に恵まれて欲しいものだ。

顔が人格の看板であることを改めて認識させられる。
造りはともかく表情は自己責任。
不細工な表情くらいは改善すべきだ。