新解釈?今昔物語
説話集、今昔物語は俳句のような文体。
物語りが簡潔な文に凝縮されている。
緻密な舞台設定や描写はあまり見られない。
そのため現代訳は現代風な脚色がつく。
中でも有名な説話の一つがお題。
捨てた妻の亡霊と一夜を過ごす男の話。
ご存じの人も多いかも知れない。
以下あらすじ(筆者の脚色もあり)。
今は昔、男には妻がいたが貧しかった。
だが気だてのいい妻は不満も言わない。
ただ身寄りのない身の上だった。
その男に千載一隅の出世の機会が舞い込む。
金持ちの娘との縁談を勧められる。
男は結婚するために妻を捨ててしまう。
(ここまでは四谷怪談に似ている。)
男は遠く離れた地で出世する。
しかし予想外に幸福感はなかった。
金持ちでわがままに育った妻が最悪。
前の妻がいかに良妻だったか思い知る。
月日が経つほどに前の妻が恋しくなる。
やがて思いは限界点に達する。
男は前の妻の元に向かった。
妻ははたして元気でいるだろうか。
何日目かの夜、ついに家に辿り着く。
あたりはすべてが闇の中に沈んでいた。
月明かりに浮かび上がる家影を見る。
荒れ果てているように見える。
人の気配もない。絶望的な予感が走る。
だが奥からかすかに明かりがもれている。
男は夢中で声をかける。
すると夢にまで見た妻が奥から現れた。
男だと分かると帰ったことを喜ぶ。
責めることもなく迎え入れてくれた。
妻は姿も性格も変わっていなかった。
暖かくもてなしてくれた。
男は忘れていた幸せなときを過ごした。
妻を傍らに夢見心地で眠りについた。
やがて光を感じ目を覚ます。
あたかも夢から覚めるように。
朽ちた屋根から日光が差し込んでいる。
その異様な情景に眠気もふき飛ぶ。
あわてて隣の妻に目をやる。
そこには白骨化した妻の亡骸が。
妻はその後嘆き悲しみながら一人暮らし。
やがて病気になるが看病する者とていない。
人知れず病死、弔われることもなく朽ちた。
結局男は亡霊と愛のひとときを過ごした。
怪談牡丹灯籠とも似ている。
物語の意味
さてこの物語がなぜ美学と関係あるのか。
悪妻に疲れた男の脳裏に浮かんだものは何か。
前の妻のやさしい笑顔かも知れない。
妻の人格の特徴として刷り込まれていた。
きつい女の表情とはまさに菩薩と夜叉の違い。
それが最後には男を引き寄せた。
亡霊以外は現実にありうる。
筆者が知ったのは小学生のとき。
鮮明に記憶しているのは再会する場面。
荒涼とした闇の中に一筋の明かり。
そして優しい笑顔を浮べた妻の姿。
その情景が翌朝の衝撃よりも印象に残る。
男の妻のイメージがそのまま表れている。
聖母が降臨する場面にも似ている。
今昔物語は簡潔な描写に終始する。
意味を解釈するのは難しい。
どうにでもとれるとも言える。
最後は家柄など関係ない。
男がそれを悟ったが時すでに遅かった。
結局一番大切なものを失ってしまった。
物語の最大の教訓だろうか。
ただ妻の亡霊はなぜ男を許したのか。
なぜやさしく受け入れたのか。
怪談なら化けて出るはずだが。
四谷怪談とはストーリーまで似ている。
影響を受けているかも知れない。
今昔物語は近代の作家にも題材与えている。
怨念から悪霊になった女の話もある。
だがこの物語から女の怨念は見えてこない。
少なくとも日本人には。
しかし欧米人には違って見えるようだ。
欧米の女性は女の復讐と感じるらしい。
最初は喜んでやさしくもてなす。
最後は白骨となって男の前に現れる。
最大限の恐怖を与えるために。
ようするに捨てた男は絶対許せない?。
日本人は復讐だっら怪談を想像する。
つまり亡霊となって相手にとりつく。
欧米にはそういう発想がないのか。
亡霊ではない悪霊ならとりつくが。
補足
子供のときの記憶では上記のとおり。
男は金も地位も捨てて妻の元に帰った。
だが原文からはそれが読み取れない。
興味ある人は原文読んでほしい。