身体雑学21

 ■ 身体美学の姉妹編、雑学的な内容 2003年以降 

ミスコン幻想1

ミスコンもまた欧米の肉体的美意識の産物。
日本語では美人コンテストと表現されてきた。
美人の意味は美貌であり、肉体美のニュアンスはない。
ミスコンは肉体美の比重も大きく、欧米文化の本質が表れている。

ミスコンが日本でさかんになるのも自然の成り行きであったろう。
欧米文化を崇拝するがごとく追随してきたのだから。
しかし度々書いているように華々しいのは国内だけの話。

元ミスユニバースと言えばステータスは高い。
だが日本ではおおむね国内代表の意味しかない。
本番の世界大会では四十年以上も結果が出ていないのだから。

ミスコン荒しという言葉もあるが、すべて国内だけの話。
単にミスコンがやたら多いというだけのこと。

日本は今でこそ経済が危ない状況だが、紛れもなく先進大国である。
女たちは世界的なブランド品を持ち、エステは乱立。
巷には美容商品があふれ、マスコミには美容情報が氾濫している。

雑記帳でも話題にしたが、奇跡?の美容法も目白押しのはず。
いったい日本は美容の先進国ではないのか。
事実を事実として受け止め、本当に考えた日本人がいるのだろうか。

ミスコンと五輪の関係

スポーツとも構造が似ている。
本番の五輪で予選落ちしても、五輪代表といえばステータスになる。
近年はずっと片手であまる数しか金メダルが取れない。
しかもその大半が柔道であり、このお家芸がなければ悲惨である。

近年は途上国が台頭してきて、いっそう世界の壁が厚くなっている。
ミスコンでも途上国からクィーンが誕生している。
スポーツとミスコンは無関係に思えるが、実は深く関係している。
どちらも体位が基盤だからだ。

実際モデルとスポーツ選手は共通点が多い。
一流のモデルたちはスポーツ選手のように体を鍛え、管理している。
一方、美しい体型のスポーツ選手も多い。

両者が重なっている例もある。
度々話題にしている走るスーパーモデル、ペレク選手がその代表。
(五輪陸上で二冠に輝いた。)

雑記帳で話題にしたスリランカのダルシア選手は逆のことが言える。
彼女は生粋の選手だが、モデルでもミスコンでも世界に通用するだろう。
競泳のクロチコワ選手(シドニー五輪で二冠。ウクライナ)も同じだ。

ダルシア選手だけではない。
同じ人種であるインド選手もアジア大会の陸上で活躍していた。
強化を進めている中国選手も圧倒されていた。もちろん日本選手も。
インドは近年、ミスユニバースなどでクィーンを続出させている。

スポーツもミスコンも民族の体位の表れなのだ。
ダルシア選手はシドニー五輪でも400mで入賞している。
インド選手も本格的に強化をすれば、間違いなく世界に通用するだろう。

同じアジアでもモンゴロイド圏からは出場すらできない。
五輪の標準記録に届かないからだ。日本も中国も似た状況。
(唯一日本の男子だけが入賞を果たすなど健闘している。)

標準記録をクリアして出場したとしてもほぼ予選落ち。
ミスコンとは無関係に思われるこの事実が、実はつながっている。
この競技における成績とミスコンの成績は符合している。

そこに肉体の本質が表れている。
体力はないけど美しさでは負けない?。そんな民族は存在しない。
民族の体位体力を底上げしていかなければ、状況は変わらない。

無意味?国内大会

世界では一般的にミスコンの全国大会は一つのみ。
本来それが自然な姿である。でなければ本当のクィーンとは言えない。
そこから成績順に国際大会への出場者を振り分ける。

優勝者はミスユニバース、次がミスワールド、ミスインターナショナルと。
ところが日本では大げさに、別々に全国大会が開催される。
各大会の優勝者のみが目的の国際大会に出場することになる。
つまり毎年複数のクィーンが誕生する。(ミス日本が多い訳だ。)

しかしそれが水準の向上につながるものではない。
結果がすべてを物語っている。
上記にもあるように、インドはここ十年で五人のクィーンを生んでいる。
一度に二人クィーン(ミスユニバースとミスワールド)が生まれた年もある。
いわばインドは世界で日本の国内大会と同じ結果を出した訳だ。

今やアフリカの途上国からもクィーンが誕生する時代。
一方で豊かな大国が何十年も国内の優勝者を送り続けても結果が出ない。
この事実が日本人に何かを突きつけていることは確かだ。