ミスコン幻想3
ミスコンの基準はいうまでもなく造形美。
教養など人格的要素も条件にされてはいる。
しかし絶対条件は造形美そのもの。
確かに品位に欠けると権威も落ちる。
それでなくても批判が少なくない。
女性の価値を造形美で決める訳だから。
公序良俗に反しない正当性が必要。
ボランティア活動の実績何て条件もある。
だがしょせん書類審査で見る程度の問題。
そもそも水着審査など良俗と相入れない。
では造形美に明確な基準があるのか。
ほとんどないに等しい。
基準を設けること自体困難なのが現実。
明白な差がある出場者は早い段階で消える。
上位者に優劣つけるのは簡単ではない。
基準はないから順位も曖昧で不確か。
突出した人がいない限り不透明だ。
高水準で拮抗するなら問題はない。
低水準の場合はまさにドングリの背比べ。
それでもクィーンは誕生する。
実質的にはブスコンになることもありうる。
前回の主題、数と質の関係も同じ。
優勝者の最大の要素は運である。
十万人の中の最大の強運者がクィーン。
予選落ちした中にも同じ水準の人はいる。
クィーン=美女は常に真実ではない。
期待するとがっかりする確率が高い?。
事実その経歴が笑いネタになる人もいる。
期待した人は詐欺にあったように感じる?。
元アイドルが笑いネタになるのと同じだ。
アイドルもミスコンも本質は同じだ。
クィーンと知性
知性は女性の美や魅力を引き立てる。
クィーンの条件となるのは必然でもある。
しかしミスコンの本質は知性と無関係。
クィーン戴冠は知性の証明にはならない。
知的なキャリアを持つことで本物になる。
才色兼備としてクィーンの経歴が光る。
本当の価値はその後の人生で決まるのだ。
造形美だけの存在で終われば色あせていく。
ミスコンは欧米人の肉体的美意識の産物。
欧米の文化的支配の流れに乗って世界に拡散。
だがクィーンが文化史に名を残すことはない。
名を残すのは才能を発揮する女性。
美女だったとしても付加価値に過ぎない。
ミスコンではないが逆の例がある。
最近活躍が目立つタレントの菊川伶がその人。
タレントとして特別な才能がある訳ではない。
最大の個性は学歴、東大出であること。
知性を持ちながら女を売って成功した。
女子アナと似ているがタレントでは珍しい。
ミスコンは今以上のステータスにはなりえない。
造形美の品評会である以上限界が見えている。
衰退傾向にあるのも必然的な流れだ。