身体雑学21

 ■ 身体美学の姉妹編、雑学的な内容 2003年以降 

ミスコン幻想3

ミスコンの美の基準はいうまでもなく造形美。
知性など人格的要素も審査対象だというが、形式的な建て前だ。

確かに人格に品位が感じられないクィーンでは、ミスコンの格が下がる。
なるべく品格のあるクィーンを選びたいのは当然。
それでなくてもミスコンには批判も少なくない。(発祥元の欧米でもある。)
何と言っても女の価値を造形美で決める訳だから。

公序良俗にてらして正当性のある体裁が必要。
米国ではボランティア活動の実績なんて条件もある。
(当事者にも本音の部分で後ろめたさがあるのかも知れない。)

しかししょせん書類審査で確認する程度の問題。
造形美がすべての前提であり、それなしには成立しない。
そもそも水着審査など本来知性とは相入れない。

では造形美に明確な基準があるのか。
あるのは身長などサイズの問題くらい。美に関してはない。
あるとすれば誰の目にも美と感じられる、といった程度の暗黙の了解。
(日本の場合は単に基準を知らないことも多々ありうる。)

造形美とは造形バランスに調和を感じること。
調和の水準に差があれば、順位をつけることも可能ではある。
しかし明白な差がある出場者は早い段階(予選)で消えていく。

上位進出者を順位づけるのは、それほど簡単ではない。
傑出者がいれば簡単かも知れないが、同じ基礎遺伝子を持つもの同士。
一人だけ突出するという事態はめったに起こらない。

もし絶対的な基準があれば該当者なし、というケースも起こりうる。
つまり誰も水準に達していないから優勝者はなしにしようということ。
それはない訳だから結局出場者同士の対比で決められる。

高水準で拮抗するならそれでも問題はない。
低水準の場合はまさにドングリの背比べ。それでもクィーンは誕生する。
実質的にはブスコンになることもありうる。(本当は多々ある?)

前回のテーマ、数と質の関係も同じ。
十万人から選ばれたとしても、あくまで対比による選別。
しかも明確な差がある訳ではない。

優勝者の最大の要素は美と言いたいところだが、実態は運である。
十万人の中の最大の強運者がクィーンという訳。
予選落ちした中にも、資質では負けていない人がけっこういるはずだ。

クィーンと聞いて無条件に美女を想像する人は現実を知らない。
女優と聞いて美女を連想する感覚と同じだ。
(これについては何度も書いているので、詳細は省く。)
実物を見れば期待が大きい分、がっかりする確率の方が高いであろう。

メジャーな大会のクィーンで、笑いネタになる例も実在する。
つまり元クィーンであることが分かると笑いが起きるのだ。
メジャーな冠だけに期待した人は、詐欺にあった気分になるらしい。

これは元アイドルが笑いネタになるパターンにそっくり。
アイドルのオーディションもミスコンも本質は同じなのだ。
これは日本文化の持つ構造的問題である。

クィーンと知性

知性が女の美や魅力を引き立てることはこれまで何度も書いてきた。
クィーンの条件となるのは当然でもある。
しかしミスコンの本質は、冒頭でもふれたように知性とは無関係。

クィーンになっただけでは知性が証明されたことにはならない。
クィーンと聞いて知的な女性を連想する人は少ないだろう。
本質が造形美であることは明白だからだ。

クィーンは知的なキャリアを持って、初めて高いステータスになる。
クィーンの本当の価値は、その後の人生で決まるのだ。
知的な職業で成功すれば才色兼備として、クィーンの冠はさん然と輝く。

造形美だけの存在で終われば、冠は色あせていく。
それに依存するほど、しがみつこうとするほど惨めに色あせる。
それが造形美の本質であり、造形美に立脚するクィーンの本質だ。

ミスコンは20世紀に花開いた欧米人の肉体的美意識の産物。
欧米の文化的支配の流れに乗って世界に華々しく広まった。
しかしクィーンが文化史に名を残すことはほとんどない。

当美学を熟読された人はもうお分かりであろう。
(といっても全容を公開している訳ではないが。)
造形美に絶対性はない、という原理の表れだ。

名を残すのは才能を発揮する女性。
彼女が美女だったとしても、造形美は付加価値に過ぎない。
造形美だけで名を残すことはありえないのだ。

ミスコンではないが逆の実例がある。
最近活躍が目立つタレントの菊川伶がその人。
本人には失礼だが、タレントとして特別な才能がある訳ではない。
彼女の存在感を際だたせているのは東大出の金看板だ。

合格したのは東大(他に慶応など)だけではないというから本物。
つまり知性の証明をしてから、それを看板に女を売って成功した。
女子アナと似たパターンだがタレントでは珍しい。だからこそ際だつ。
女子アナでは高学歴は当然、東大出も珍しくない。

ミスコンが造形美の品評会である以上、今以上のステータスにはなりえない。
衰退傾向にあるのも文化としての底の浅さが見えているからであろう。
ただしいつも書いていることだが、全否定しているのではない。
造形美のイメージを示すという意義はあると思う。