DAKSのCMに目を奪われたかと思えば、今度はGAPもテレビCM。
まるでDAKSに対抗するかのようなタイミング。
米英のファッションブランドのそろいぶみといったところだ。
目を引くという点ではGAPも負けていない。一目でやはり引き込まれた。
モデルのプロポーションの素晴らしさと、動きのしなやかさに。
男女一組の組み合わせとダンスで美を表現するあたりもDAKSと似ている。
背景に凝った仕掛けもなく、男女の肉体と動きだけで美を表現している。
シンプルな演出でも目を引かれるのはやはり美の水準が高いから。
モデルも演出する側も美の本質を把握している。
欧州文化の粋のDAKSに対して、GAPは米国文化の粋である。
ジーンズにエレキギターなど新しい文化がいかにも米国風。
(ロックは英国も本場だが)だが根底にあるのは共通の美意識だ。
DAKSのCMは出会えることを望んでいる人が多いようだ。
いつ流れるか分からないだけに幸運を期待するしかない。
やはり人々は美にふれてみたいのだ。
ただ残念ながら流れるのは十月十日までらしい。
GAPにしろそれだけ際だつのは同水準の美を見る機会が少ないからだ。
美しくなくても面白い楽しいCMならいい。
問題は美を表現しているのに、水準に達していないCMだ。
モデルの顔を見なくても日本製と分かってしまうのは淋しい限り。
何のCMか分かりにくいが強烈に目を引くCMが流れている。
男女のダンスシーンの最後にちらりとDAKSと出るだけ。
英国のファッションブランドであることを知らなければ何も分からない。
しかし美の水準の高さからインパクトは抜群。
一組の男女の見事なダンスと絶妙なBGM。(白鳥の湖)
それもそのはず、二人は今を時めく超一流のダンサー。
(アダム・クーパーとサラ・ウィルドー)
そんじょそこらのダンサーとは違う。
二人ともクラシックバレエを完ぺきに身につけた本物。
短いCMだが思わずその世界に引き込まれてしまう。
BGMとの絶妙さという点で、かつてのアップルのiMacのCMを思い起こす。
五色のiMacが踊るように流れる中、「シーズ・ア・レインボー」が流れる。
何の感動もないCMが多い中で、両方何度でも見たい芸術的CMだ。
余分な説明が一切ない点もアップルのCMと似ている。
コンピュータとファッションという違いはあるが確かに似た性格を持つ。
両者ともデザイン性を、すなわち美を追究している。
両方あちらの企業、あちら制作のCMというのがちょっと残念。
前回話題の松下にもこんな水準のCMを望みたい。
映像を作る機器では世界の先端企業なだけに。
ビエラはパナソニックの薄型テレビのシリーズ名。
薄型大画面テレビはデジタル家電三種の神器の中の大本命。
企業の未来及び景気回復を左右する頼みの綱。
家電の王者、松下電器もやはりビエラに未来を托している。
そして年末商戦に向けて早くも新聞の一面広告を出してきた。
画面の美しさを表現した構図は、美女の背景に大自然が広がる。
美女は日本人タレントだ。悪くはないが満点はつけられない。
日本向けの広告に日本人モデルを起用した姿勢は悪くない。
構図も悪くない。モデルも美女である。
では何が問題なのかと言えば、モデルの姿勢美が完ぺきでない。
もちろん並の日本人と比較すれば悪くない。
だが世界的企業の戦略商品の美を表現した広告である。
モデルの美に完ぺきを求めるのが本来あるべきセンス。
立ち姿で美を表現するなら完ぺきなプロのモデルを使うべき。
例えばいつも例に出すラックスのCMなどは皆モデルが完ぺきだ。
(リブ・タイラー、アン・ハサウェイなど)
日本では美容商品のCMにも姿勢美の概念すらないCMはよく見られる。
だが松下は日本を代表する企業だけに広告も洗練されてほしい。
日本人も美しい広告を作れることを見せてほしい。
商品も経営戦略も洗練されているのだから。
ボロが出るくらいなら海外に制作を発注した方がいい。
北オセチアで起きたテロ事件は謎が多い。
真相の解明はできるのかどうかも分からない。
実際起きた以上、今後も起こりうる。(目的不明瞭、対応困難なテロ)
それだけにテロを防ぐことがより困難になると考えられる。
天災は忘れた頃やって来るというが、来ることは分かっている。
テロは予測不可能、起きてみない限り起きるとは考えられない。
米国はテロの危険を感じていても9.11を防げなかった。
テロには屈しない、根絶すると米欧は強調する。しかし根絶などありえない。
石川五衛門風にいえば、浜の真砂は尽きても世にテロの種は尽きない。
今後もテロの種は増えることはあっても、減るとは考えにくい。
かつては無学な貧しい若者が組織に洗脳されて自爆テロに走ると考えられていた。
だが9.11のリーダー格は妻子もいる中年のエリートだった。
若いメンバーも学歴ある優秀な人材が多かった。
この事実が何を意味するのか。誰も答えられない。
どこでどんな形でテロが起きるかは誰にも予測できない。
しかし必ずどこかで想像を絶するような形で起きる。
筆者が起きてほしくないと希望的観測を書いたところでなんの効果もない。
日本人もまたそういう時代にいることを自覚しなければならない。
五輪前に書いたように五輪は肉体の展覧会である。
体は美意識の鏡だから、美意識の違いも如実に表れる。
日本選手と欧米系選手とでは随所に違いが出ていた。
五輪期間中のある時期から急に当サイトのアクセス数が増えた。
原因はなんとソフトボール米国のオスターマン投手だった。
このセカンドネームをたった一回文章に入れただけではねあがった。
日米戦で投げた彼女にそれだけ多くの日本人が関心を持ったのだ。
日米戦以外ではまったく日本のメディアに出ていない。
オスターマン投手への検索は今も続いている。
マスコミはアンバランスな報道が多い。
陸上男子リレー二種目でメダル目前の4位入賞という立派な結果を出した。
大健闘と表現はするものの扱いの小さいこと甚だしい。
意味が分かっていないとしかいいようがない。
短距離系は体位体力の差が直接表れるので東洋人には最も厳しい競技。
(中国は陸上二種目で快挙を果たしたがそれは別な機会でふれる。)
日本やアジアで勝っても標準記録を超えなければ出場できない。
標準記録を超えて出場できても一次予選で落ちるのがいつものパターン。
トラックは黒人と白人の世界といっても過言ではない。
大健闘のリレーメンバーも最も小柄なチームだった。
選手の皆さんは分かる人はちゃんと分かっているから誇りを持ってほしい。
ただ無定見なマスコミには期待しない方がいい。
アテネ五輪の金メダリストたちは誰も国民栄誉賞の対象にはならない。
政府筋は理由として、実績に線引きをすることの難しさを上げたという。
真実は難しいのではなく、難しくしたのだ。
曖昧な基準で出すから辻褄が合わなくなったというのが真相だ。
筆者は高橋尚子選手に授与したとき間違いだと強く指摘した。
今大会前も野村選手が3連覇を果たしたら一体どうする気なのだと。
愚かな判断が見送りという不公平きわまりない今回の事態を招いた。
マラソンは戦前すでに東洋人が通用(五輪優勝)することが証明されている。
同じ陸上でもトラック系種目とはまったく性質が違う。
スプリント系種目での優勝なら一回でも栄誉賞に値する。
はっきり言ってほとんど不可能だからだ。
陸上で史上初?。正式種目になって五回目に過ぎないのに。
もし高橋選手の優勝がなかったら今回の野口選手に上げたのか?。
あげくにイチロー選手には辞退されている。彼はさすがに大物だ。
いったい野村選手の3連覇の意味が分かっているのだろうか。
男子の柔道はまず層が厚いのだ。(競技人口は女子よりはるかに多い。)
さかんな欧州だけでなく、世界中から強豪が出るようになってきている。
柔道選手は選手寿命も長くない。谷亮子選手は十代から出場した。
だが層の厚い男子では十代での五輪出場は難しい。
だから柔道選手の3連覇は世界でも初めて、今後も当分出ないだろう。
なぜ筆者がこれだけ強く主張するのか、選手に対して失礼だからだ。
お前たちは大したことないから上げないよ、と言っているのに等しい。
加藤沢男氏が海外で 二十世紀ベストアスリートに選出されても無視した。
スポーツ選手は名誉な賞ではないと考えた方が正しい。
黒人選手たちの圧倒的な体格に最初から不安を感じた。
彼らは予選から9秒台を出してきた。それも力を抜いて。
末次、朝原両選手とも世界の壁を見せつけられる格好で予選落ち。
井上康生の敗北に次ぐショックだ。
陸上競技は最も基礎体力が直接表れる競技。
メダルを荒稼ぎしている中国も、壁を超えられないでいる。
陸上の選手たちはその点で他の競技より厳しいと言える。
日本はマラソンが強いが、逆に言えばマラソンしか通用しない。
話は変わるが競泳800m自由型優勝の柴田亜衣選手は幸運な勝利だった。
しかし女子の自由形では初の金、競泳では岩崎恭子選手以来の金。
歴史ある競技の個人金メダリストとしては史上四人目。
四人はすべて競泳。競泳以外では新興種目の柔道とマラソンのみ。
(女子柔道はバルセロナ大会から、マラソンはロス大会から正式種目。)
他にも世界に通用する競技はあるが、金メダリストは出ていない。
柴田選手の金はそれだけ意義がある。だが他の選手の陰に隠れた観がある。
彼女のキャラクターも地味なのかも知れないが。
それより卓球の福原愛選手の方が露出度が高い。
出場しただけで入賞もしていないのに、柔道の谷亮子選手に次ぐ露出度だ。
これはマスコミのセンスの問題だ。
日本の金メダル数が早くも二けたに到達した。
まったく予想できなかった結果だ。できるはずがない。
もちろん選手や関係者の努力が実った結果であろう。
ただ過去の選手達も努力をしていなかった訳ではない。
日本に予想外の追い風が吹いていることも間違いない。
一方世界で無敵を誇っていた井上康生選手が敗れた。
まるですべての不運を一人で背負ったかのように。
特に女子は戦後約半世紀の間、個人の金メダリストは青木まゆみ選手ただ一人。
(ミュンヘン五輪競泳百mバタフライ)戦前も前畑選手(競泳平泳ぎ)一人。
世紀末になってようやく現れた三人目が岩崎恭子選手だった。
(バルセロナ大会競泳平泳ぎ)
だがその後はすべて新興種目ではあるが大会ごとに出ている。
とくに今回は想像を絶する。伝統ある競泳でも柴田亜衣選手が優勝を果たした。
(柴田選手は新興種目以外では、史上四人目の個人の金メダリスト。)
この傾向は五輪の肥大化とも関係がある。
近年は途上国もメダルを獲得することが増えている。
絶対数が大幅に増えたメダルが、大国に独占されることなく分散している。
競技の水準によってメダルの価値にかなり差があるもの否めない。
中国など主要な競技ではあまり活躍していないのに獲得メダル数は多い。
これはまさに中国のスポーツ戦略、国家戦略だ。
日本にとって早くも近年で最も成功した大会であることが確実になった。
だがいつも書くように日本人の体位体力が向上している訳ではない。
体力勝負の競技では依然隔たりがある。
それを乗り越えて活躍する選手はそれだけ立派であるが。
タイトルの意味はもちろん五輪のことである。
間近に迫った五輪の見所がいろいろ報道されている。
大半はメダル予想だが、見所はそれだけではない。
美学的には肉体の、美意識の、文化の展覧会でもある。
例えば入場行進では民族衣装で登場する国や地域がある。
民族の誇りと美意識が感じられ、好感が持てる。
選手のパフォーマンスには美意識と文化が強く反映する。
筆者は今までどれだけ多くの啓発を受けたか計り知れない。
五輪に注目してきた大きな理由の一つだ。
近代五輪のモデル、古代五輪も肉体的美意識発祥のヘレニズム文明の産物。
欧米系の選手にはその文明の末裔であることが感じられる。
美意識が育まれる文化的土壌ができているからだ。
世界の舞台に立つ日本選手、関係者の方々にも美意識を持ってほしいのだが。
(当サイト開設以来二度目の五輪、いつも書いていることだが。)
例えばハンマー投げの室伏選手は姿形も芸術的だ。
彼が混血だからではない。立ち姿が美しいからだ。
逞しい体と姿勢美が見事に一致している。
彼もまた、スポーツと美がいかに密接であるかを物語っている。
しかし姿勢美、表情美ともに欧米系の選手の方が平均的に水準が高い。
日本選手の崩れた笑顔を「・・スマイル」というマスコミ報道は見ててつらい。
美学とは直接関係ないが、普及している割に誤解が多いのであえて書く。
今でもクーラーという表現がよく使われる。
だが電機業界ではとっくの昔に消えた化石のような呼称、概念である。
今はエアコン(エアコンデショナー)が唯一の正式名称だ。
日本語でいえば前者が冷房機、後者は空調機。
冷房機の発想は暑いときに冷やせば気持ちよく快適、つまり冷やすことが主眼。
空調機は部屋の空気を体によい状態に調整するという発想だ。
昔の冷房機の時代は確かにやみくもに冷やしていた。冷房病なんて症状も生まれた。
誤解の多くはこの時代に生まれたようだ。つまり不自然で体に悪いというイメージ。
実際冷房は苦手だとか、嫌いだという人もいる。
確かに体質的に暑いのが平気な人もいる。(もちろん限度はあるが)
だがそれ以外の人はほとんど誤解だ。例えばエアコンをつけたまま寝るのは体に悪い?。
まったくそんなことはない。設定温度を高めにすれば何の問題もない。
問題は九分九厘、温度を下げ過ぎていることにある。
今のエアコンは温度調整の精度も高い。設定以下に下がることはありえない。
昔の観念を引きずっている人は、正しい使い方を知らないのではないか。
(古い観念がなくても正しい使い方を知らない人が多いのだが。)
省エネで健康的な適温は28度とされている。
だが筆者は30度以下に設定することはない。それでも十分快適だ。
暑く感じるときは扇風機を併用している。因みに筆者は冷房が苦手ではない。
最近の空調機は温度調整以外に、空気清浄機能はもはや当たり前。
他に空気の成分まで調整するものが増えてきた。
換気機能、マイナスイオン発生、酸素濃度を高める、加湿機能などなど。
熱中症の半数以上は室内で起きている。
だから専門家もエアコンを上手に利用することが最大の予防策としている。
また室外機から出る熱風が地球の温暖化を進めるという勘違いもあるようだ。
あの熱は室内の熱を外に逃がした熱だ。
つまり熱が移動しただけでエアコンが発生している訳ではない。
もちろん機械から発生する熱もあるがそれほど大きい訳ではない。
問題はエアコンを動かすための電気を火力発電していることにある。
それが大量の二酸化炭素を発生する。
さらに冬は高い温度、夏は低い温度に設定する使い方が問題だ。
年商ならぬ利益の一兆円企業、トヨタの勢いは止まらない?。
F1では苦戦しているが戦略は見事だ。広告戦略はどうなのだろうか。
今まで女性美を演出するCMではラックスが一番目立っていた。
必ず高水準のモデルを使い、演出も常に洗練されている。
以前よく話題にしたモッズヘアシャンプーは最近あまり目立たない。
最近ラックスを彷彿されるCMをよく目にする。
制作会社が同じなのではと思わせるほど。
それがトヨタのアルファードという車のCMだ。
男優のジャン・レノがピアニストに扮して登場する。
ダンスをしていた女性が車を見て、引き寄せられるように近づいていく。
レノがリモコンによる遠隔操作でドアを開ける。そして女性が乗り込む。
状況設定に大した意味はない。それより彼女の姿勢美が際だっている。
体型では説明がつかないほど美しい。
ラックスで見たリブ・タイラーやキャサリン・ゼタ・ジョーンズ、
アン・ハサウェイに勝るとも劣らない。ようするに全体の水準が高いのだ。
筆者は彼女が何者か知らない。
トヨタが大金出して海外に発注したCMであろう。当然一流モデルのはず。
(最高水準の美を表現するには、海外に発注するしかないのだろうか。)
彼女の特徴はスリムなモデル体型ではないことだ。
かなりグラマーな要素を持っている。
彼女はスリムが美の絶対条件ではないことも示している。
米国在住の歌手、西田ひかるさんが某紙のコラムで書いていた。
米国の若い世代の美容事情について。主な部分を紹介しよう。
米国の女子高生が望む卒業祝いの一番人気は豊胸手術だという。
もちろん願望だろうからみんな豊胸手術している訳ではないだろう。
米国は日本よりは美容整形に抵抗がないのは間違いない。
しかし彼女によると安易に美を求める風潮には、やはり批判の声があるらしい。
(彼女自身も美容整形には否定的。)
同様にスリム幻想の蔓延も問題視されている。これは先進国共通の問題だ。
ただ当サイトで書いているように質的差はある。
例えばあちらで尻が大きいといえば日本人よりはるかに大きい。
つまり100センチの尻を90にしたいという話。
85を80にしたいとは思わないであろう。
現実がまったく見えなくなればないとは言えないが。
彼女の知性が感じられるコラムでした。
彼女自身は表情美人だし、ナイスバディだし、おまけに賢い。
容姿に深刻な悩みがあるとは思えない。
彼女は絶対魅力的な熟女になる。彼女のいうことはみんな正しい。
小学生による同級生殺人事件で見えたことの一つにスリム幻想がある。
細ければ美しいという幻想が小学生にも普通に蔓延している。
子供が美のためにやせるなんて愚かしい限り。
ただ確かに子供の肥満が増えているのも事実。
肥満度に応じたダイエットは不可欠だ。
(子供の内から肥満していたら到底長生きなどできない。)
だがスリム幻想は医学的な肥満治療とは次元が違う。
子供は性別に関係なくよく運動して、しっかり食べることが原則。
そうしてしっかりした骨格を造ることが本当は一番美につながる。
(ただでさへ東洋人は白人や黒人に体格で劣るのだから。)
この愚かしい風潮は子供より大人の責任が大きい。
それだけ幻想が社会に蔓延していることの反映に他ならない。
子供は愚かな大人たちを映しているだけだ。
体脂肪率など関係なく、やみくもにやせようとする。
細くなれば手足の長いモデル体型になるかのごとき勘違いしている。
(手足の長さが変わる訳ないのに。)
健康を無視した美の追究だが、実際ほとんど美など実現しない。
スリム幻想は知能指数に反比例するのではないか。
つまり低いほど盲目的に信じ込む。
断じて本物の美意識ではない。本物の美意識は教養なのだ。
知性なのだ。幻想を幻想と見抜くことだ。