身体美学 Fhysical Aesthetics

雑記帳 2005年1〜2月

■ センスのなさが命取り 【2/28】

合併して生まれる市の名前に市民が反発、結局合併自体が泡と消えた。
ずれたセンスのためにすべてが水泡に帰したという絵に書いたような話。
推進した人々は恥さらしと言われても仕方ないであろう。

住民だけでなく全国から抗議が寄せられたという。
言語は文化の基礎なのに、市名に英語の造語をつけるなど反発されて当然。
日本なのか欧米なのか判別がつかない。日本人も外国人も戸惑うだろう。

その意味では市名の元になった空港名も同じ。なぜ英語名にするのか。
なんだか欧米に魂を売っているような印象を禁じ得ない。
まさかハイカラでスマートだとでも思っているのだろうか。
欧米の猿真似文化のきわみといったら言い過ぎか。

すでに限りなく欧米文化に支配されているに等しい。
それだけによけいシンボルには美しい日本語を使ってほしい。
マスコミや文化人も少しは横文字の乱用を自粛してほしい。

この問題も美学のテーマと同根だ。
日本の伝統文化は軽視、欧米人になったかのように欧米文化を真似する。
だが真似するのは表面だけで、本質は抜け落ちている。
それがどういう結果をもたらしているか、よく見えていない。

■ プリティプリンセス2 【2/23】

見出しは公開中の映画のタイトル。
主演はラックスのCMでおなじみのアン・ハサウェイ。
筆者がラックスで彼女のCMを見たとき、すぐ思い浮かんだのはオードリー。
(当サイトでオードリーといえば、オードリー・ヘプバーンのこと。)
チャーミングな笑顔がオードリーを彷彿させたからだ。

オードリーと言えば「ローマの休日」が代表作。
王女役の彼女がキュートな笑顔で人々を魅了した。
「プリティ〜」もタイトルから分かるようにアンが王女役。

もしかして制作者も彼女にオードリーのイメージを見たのでは。
ストーリーも何だかローマの休日とマイフェアレディを重ねたような・・。
(前作も本作も見ていないので詳細は分からない。)

だとすればよけいその可能性は高くなる。
アンの表情美の水準はほとんどオードリーと変わらない。
造作が違ってもイメージが重なるのは、表情が似て見えるからだ。

ただアンはオードリーほど容姿に劣等感を持っていないのではないか。
オードリーは体にまったく自信がなかったが、アンは違うだろう。
彼女は出るべきところは出ているし、スマートであっても華奢ではない。

だが彼女はオードリーのように時代を超える妖精にはならないであろう。
それは彼女の問題ではなく、時代の違いなのだ。
オードリーは時代の要請があったから輝く舞台を与えられた。
だが現代はオードリーの再来を求めていない。

■ 酷似?堀江社長と金総書記 【2/18】

堀江社長を見ていて誰かに似ていると思った。
誰かはすぐに浮かんだ。北朝鮮の金正日総書記だ。
ただし顔のつくりが似ているとかいう単純なことではない。

体形や頭身比率、姿勢や表情など総合的な容姿のイメージがである。
それ以上の深い意味はない。
つくづく同じ人種、同じ文化、同じ美意識であることを痛感させられる。

堀江氏の方が総書記よりかなり若いし、欧米文化に染まった日本育ち。
しかも先端産業で活躍する人物である。
にもかかわらず基本的な部分が実によく似ている。
日本人は欧米文化の表面だけを真似していることがそこに感じられる。

彼のモデルかも知れないスティーブ・ジョブスとはまったく似ていない。
(ジョブスはAppleのCEOであり、ビル・ゲイツと並ぶ業界のカリスマ。)
ジョブスと比較したら総書記とは兄弟に見えるほど似ている。

彼の映像を十年前の総書記だと言って見せれば欧米人は信じるかも知れない。
特にサングラスでもかけている映像ならその可能性は高い。
体形や姿勢など特徴が同じだからだ。
彼らは東洋人の体形や姿勢に自分たちとの違いを敏感に強く感じるからだ。

だから無頓着であってはならないのだ。
堀江氏のような野心家はしっかり自覚してほしい。

■ 動物園の美意識 【2/13】

世界的に動物園が減小している中で、北海道の旭山動物園が大人気だ。
異変と言っていい。人気の理由は革命的に斬新な展示方法にある。
日本の、しかも地方発であるという点は二重、三重に革命的。

というのもエコロジー、動物学などは元々欧米で生まれた学問。
日本は常に後を歩いている。意識が四〜五十年遅れているともいわれる。
日本人は無頓着だが、欧米ではそう認識されているようだ。

盲導犬、災害救助犬、アニマルセラピーなど皆欧米から学んだ。
盲導犬は近年やっと受入れが義務化されたが、今だ拒否する施設もあるという。
動物園の運営、展示方法も大体欧米が先行しているのが常。
だが旭山動物園は世界に先行していると言っていい。

同園には常識にとらわれないただならぬ人物がいるはず。
まず園長を思い浮かべた。当然園長は立役者の一人。
具体案を生み出してきた中心人物は副園長のようだ。

彼は意外なくらい地味で、自己表現の少ない普通の日本人。
だが仕事をやらせたら才能を爆発させる?。
人は見かけによらないという典型的な人物か。

園長、副園長、スタッフを動かしている力は美に対する感動だ。
動物の姿形、動作の美しさ、迫力をどうしたら見せられるか。
斬新なアイデアはその情熱から生まれている。

美を感じ、感動する感性がなければ生まれない。
その結果生まれた展示方法によって、観客は同じ美を見ることになる。
訓練して曲芸などさせなくても本来の姿、美しさが人を感動させるのだ。

同園のサイトはこちら。「旭山動物園」園長や副園長のページもある。
サイトからも同園の創造性の高さは感じられる。

■ シャラポワ再来日 【2/5】

去年のフィーバーも冷めやらないのに、シャラポワが再び来日。
報道も過熱気味なので、日本のスター顔負けの有名人になりつつある。

ところでなぜか今回は十頭身報道を聞かない。??。
美についての無知に気づいた?。いやいや信用できない。
あれだけ恥さらしな報道したマスコミの水準が、急に変わるとは思えない。

あまり本当のことを書くと可愛そうだから今日はこのくらいにしておこう。
なぜ彼女はこんなに注目されるのか。
芸能スターの地盤沈下も一因かも知れない。

グラビアアイドルは水着で、セクシーポーズを見せるだけ。
ろくな訓練受けていないので、姿勢美や表情美の水準もただの素人。
シャラポワは自分を鍛えて、若くしてテニス選手としての実力を備えた。
実力および人格的な裏付けがあるから、美の価値も評価される。

人々は美に憧れ、求めているがそれほど芸能人に注目していない?。
あまり期待していない、もしくは期待できない?。
昨今誰もが知っている芸能スターは本当に少ない。もはやいないかも。
今テレビで一番活躍しているのはお笑い系の芸能人であろう。

韓国人のヨン様に熱狂するのも、日本人にスターがいないからでもある。
何しろ韓国人とは文化の基盤、美意識、遺伝子が同類なのだから。
韓国でなければならない理由はどこにもない。
韓流ブームに乗ろうとするマスコミも本当に軽薄だ。

■ 中身は日本人?ベッキー 【1/28】

初めてタレント、ベッキーを見たのは確か4年くらい前。
まだ彼女が十代で少女っぽかった。
基本形が白人の彼女がどう成長するのか興味を持った。
この件については前にも書いた。すでに日本人ぽいことも。

成人になった今はどうか。前に予想したとおりだ。
今の彼女は完全に日本人だ。文化的に、つまり美意識が。
表情は典型的な日本人型と言っていい。

造形が白人的なだけに妙な錯覚が起きる。
形とイメージが一致しないので、分かってはいても一瞬頭が混乱する。
純粋の日本人でも帰国子女などには彼女よりずっと白人ぽい人がいる。

彼女は父が白人、母が日本人。容貌は父の血が強く出た。
だが文化や美意識は完全に母を受け継いでいる。
恐らく母と接する時間が父とよりも長く、濃密だと想像される。
少なくとも日本文化の要素が強い環境で育ったことは間違いない。

だから表情美や姿勢美の要素は弱い。美形だけにもったいない。
年とともに美貌が崩れていく恐れもある。
同じ強い白人形のタレントでも、ヒロコ・グレースはまったく違う。
彼女は姿勢美も表情美も完ぺきだ。

■ ローラ夫人のセクシードレス? 【1/23】

ブッシュ大統領の派手な就任式が世界の注目を浴びた。
筆者が驚いたのはローラ夫人のセクシードレス。
世界が注視する舞台で豊満な曲線美を披露していた。

日本では政治家夫人があの装いで民衆の前に立つことはありえない。
(ましてや世界が注目する中で。)
文化の違いもあるし、そもそも体に自信がなければできない。
ローラ夫人は初老の女性としては、なかなか見事なボディだった。

前の人(ヒラリー夫人)がひときわ華やかだったので損をしているのかも。
日本と比較したら彼女もかなり派手なんだけど。
米国では夫人もそれなりのパフォーマンスを求められるということだ。

前の人は避暑地での水着姿を盗撮されていた。
(大人の色気と美貌で日本のグラビアアイドルに勝てるかも知れない。)
前の人の方が若いこともあるが、それでも当時五十路にはなっていた。

あちらは夫人であれ、政治家であれ必ず見栄えも問われる。
因みにローラ夫人は専業主婦。大統領夫人としてはそれが普通。
前の人は美貌のキャリアウーマン(弁護士)。こっちの方が珍しい。

■ iPodは文化? 【1/18】

iPodは一般消費以外に、懸賞の賞品としても大ヒット。
おそらく単一の懸賞品としての数量でも独走したのではないか。
まったく関連のない業界でも「iPodが当たる!」と。

ファッションブランド業界を巻き込んでいることは前に書いた。
内外の有名ブランドがこぞってiPod用のケースを製造販売してる。
ブランドやデザイナーにとっても力を見せる機会になっているらしい。
種類が多すぎて何を選んだらいいか悩むユーザーも多いのでは。

だがまだこれは序の口?。最近は自動車業界まで巻き込んでいる。
カーオーディオメーカーは以前から車載用の商品を出していた。
それがついに車本体がiPodに対応するようになってきた。
高級車のブランド、ベンツは先日アップルのイベントでそのモデルを出展した。

モーターショーならぬIT企業のイベントにである。
つまり車の構造自体に装置が組み込まれている。
操作用のボタン類はステアリングに埋め込まれている。
曲名や動作を表示するディスプレイはメータ類の一部となっている。

ボルボ、アルファロメオ、フェラーリ、日産なども今後iPod仕様車を出す予定。
(BMWはベンツより早く、去年既に発売している。)
トヨタやホンダはまだ静観しているようだが、今後の対応が見物。
たかが携帯音楽再生装置が、基幹産業に影響を与えるというのは希有な現象だ。

iPodが文化を生むまでに成長した証であろう。
この成功を予想できた人は、開発者自身も含めて誰もいないのではないか。
今は誰も把握できないほど多くのケースが出ているが、当初はほとんどなかった。
個人が手作りしたものをネットで紹介、希望者の注文に応じたりしていた。

手作りでは利益などほとんどないが、同好の士のよしみで応じたようだ。
初期の愛好者はそれほど少なかった。だがこの成功はけっして偶然ではない。
前にも書いたが、同社の一貫したポリシーが成功の最大要素だ。
蓄積してきた文化的要素(製品に対する美意識)が結実した結果だ。

それは一朝一夕では生まれない。同社の製品はそれを抜きには語れないのだ。
(何も知らずに批評する人間がいるが、間違いなく的がずれている。)
パソコン市場ではウィンドウズの寡占化によって、それが十分生きなかった。
死角だった周辺機器でそれが花開いたことに宿命的なものを感じる。

技術的にも優秀で、本来得意なはずの日本企業が同社に圧倒されている。
日本企業は同社に負けない美意識を持っているだろうか。

■ カレンダーガールズの美? 【1/7】

去年「カレンダーガールズ」という映画が公開された。
話題の大作ではないので、見た人以外は内容を知らないであろう。
内容は英国の片田舎であった実話を映画化したもの。

小さな村のまじめで堅い婦人会が金を捻出するために方策を練っていた。
白血病関係の基金への寄付のためだった。
結果カレンダーを製作して売ることになった。自然豊かな村の生活風景を題材にして。

モデルも本物の主婦である自分たちがすれば真実味もあるし、金もかからない。
カメラマンもプロではなく、カメラに詳しい村の男性。
だがとれた絵は今ひとつインパクトが弱い。売れるか不安になった。

そこで一人の主婦が提案した。「ヌードになったらいいのでは。」
最初は皆冗談だと思った。何しろ若くて四十代、主に五〜六十代の主婦たちだ。
だが彼女は本気だった。彼女の熱意に他の主婦も同意した。
しかし彼女たちの家族など周囲が当然反対した。

それでも結局彼女たちの熱意が反対を押し切った。
その熱意?勇気?が話題を呼んだのか売り出したら誰も予想しない大ヒット。
英国だけでなく海外でも大人気になった。
平凡な田舎の主婦たちがいちやく時の人に。ついには映画にもなったという訳。

因みにヌードといっても全裸ではあるが、体全体が見えるようなものではない。
きわどい部分は当然見えない。せいぜい乳首が少しのぞく程度。
基本は主婦の日常生活のひとこまを絵にしたもの。裸であるという以外は。
もちろん汚い絵ではない。ただ色気を売りにしたカレンダーとは当然違う。

日本ではまずあり得ない話だ。(英国でも普通はあり得ない。)
もしあったとしたら果たして売れるだろうか。正直やってほしいとは思わない。

■ 格闘技K1の落日? 【1/2】

衰退するボクシングやプロレスに変わって、新格闘技が主役になりつつある。
(これについては身体雑学・格闘技新時代を参照。)
基本がキックボクシングのK1と総合格闘技が主役をめざして競り合っている。
はたして未来の主役はどっち。

はっきりいってK1は分が悪い。格闘技界のF1になるのは難しい。
今回も前回も元横綱、曙を大晦日のメインイベントに持ってきた。
だが前回も書いたように彼はスポーツをする体ではない。
予想どおりその後も惨めな姿をさらしてきた。

今回も予想通りの結果にすぎない。問題はそれだけではない。
K1GPで日本人選手武蔵を推すのはいいが、肝心の試合は凡戦ばかり。
日本人が勝てば退屈な試合でも日本人が喜ぶと思っているのだろうか。

立っての打撃だけが攻撃手段のボクシング系はだれることがおこりやすい。
名選手でも相手との絡み具合によってはやってしまう。
一方総合格闘技は攻撃手段が多彩なので、だれ試合はおこりにくい。

K1はその弱点を自覚してか、総合格闘技の要素も取り入れている。
だがそれ故に半分自分を否定するようなパラドックスに陥っている。
曙はなんだかK1を象徴するような存在に見えてくる。

一方総合格闘技はポリシーも明確、揺るぎない。
曙戦のような茶番は今のところやっていない。今後主役になる可能性が高い。
ただ過剰な演出には辟易させられた。それが最大の問題点かも知れない。