山口淑子(李香蘭)
2011年5月1日
成功者の人生は波瀾万丈であるのが普通だ。
だが彼女ほどの例は希有だろう。
激動の時代を常に時代を担う主役の立場で駆け抜けた。
実績、活躍の長さ、広範さ、人間関係などの絢爛豪華さが桁外れ。
十代で早くも歌手、女優として大スターになる。
だが本人が芸能スターを目指した訳ではない。
彼女の意思と関係なく、周りの大人からレールに乗せられた。
時代が彼女を求めていたと言える。
その点は戦後世界的スターとなる三船敏郎と似ている。
三船も役者志望ではないのに偶然が重なり、レールに乗せられる。
大陸出身なのも同じ、似た運命持つ二人は後に共演することになる。
満州のスター女優になった彼女は日本映画にも出演。
ときの大スターと競演し、内外共通のスターになる。
さらに中国でも日満に勝るとも劣らない大成功する。
素性を伏せ、中国人として活動した結果でもある。
因みに画像はすべて中国人、李香蘭の時代のもの。
大戦が終結すると、そのためにスパイ容疑で逮捕される。
処刑の危機に立たされるが、日本人だと証明して助かる。
戦後は日本で本名、山口淑子として芸能活動再開。
三船敏郎など日本のスターと競演する。
さらに国内に留まらず、米国進出も果たす。
さすがに人種の壁なのか成功とまではいかなかった。
それでも映画や舞台に出演し、評価もされた。
米国では彫刻家イサム・ノグチと知り合い、最初の結婚をする。
さらに中国での名声から、再び李香蘭として香港で活動再開。
歌と映画で戦前同様に成功している。
つまり日本人と分かっても中国人にとって大スターなのだ。
だがまもなく日本人外交官との再婚を機に引退する。
38才にして20年間の絢爛豪華、濃密な芸能生活だった。
自身時代の顔だけに、多くの時代を象徴する人物と接点があった。
例えば伝説的怪人?甘粕満映理事や川島芳子などとも。
甘粕とは当然としても川島芳子とは不可思議。
(川島芳子については身体雑学20・川島芳子を参照。)
米国では死の直前のジェームス・ディーンとも交流があったという。
しかし引退の約十年後再びテレビの司会者として復帰。
さらに戦後を代表する政治家、田中角栄の要請で政界にも進出。
田中は彼女のファンだった。そして政界でも長く活躍する。
当然老境に入っていたが、驚異的な若々しい美貌を誇っていた。
彼女は今なお健在、これほど強運な日本女性を他に知らない。