身体美学美学的女性評

山口百恵

2013年9月2日

ジャケット写真 陰影ある正面顔

1970年代を代表する歌手、女優。
実力、人気、カリスマ性を備えていた。
その存在感はアイドル歌手の枠を超えていた。

だが活動期間は短く7年半ほど。
しかもその大半が十代という若さ。
その短いキャリアで紅白歌合戦は6回も出場。

中国でも日本同様の人気をはくした。
往年の李香蘭の再来のように。
太く短く燦然と輝き、若くして去っていった。
スターの座に一切の未練を残さず。

しかし少女歌手のイメージは薄い。
可愛さを売る路線ではなかったからか。
成熟した大人の女性の印象が強い。
それこそ彼女の個性、存在感、カリスマ性。

少女の可憐さというより、女性の神聖さを感じさせる。
年齢には不釣り合いな母性のような。
その個性からやがて菩薩といわれるようになる。
せいぜい二十歳前後の小娘がである。

有名写真家が好んで被写体にした。
彼女を撮ることがステータスであるかのように。
某有名写真家は、撮影中存在感に圧倒されたという。
百戦錬磨のプロがである。

彼女のグラビアは時代を象徴する肖像となった。
ミュシャのサラ・ベルナール、ウォーホルのM・モンローのように。

4ショット

では彼女はすごい美女だったのか。
あるいは素晴らしいプロポーション?。
どちらでもない。
むしろ普通の人だと言って過言ではない。

美女なら他にいくらでもいる。
ナイスバディのタレントも。
だが誰も山口百恵にはなれない。
束になってもかなわない。
彼女の価値はそんなところにはない。

彼女と入れ替わるように登場した松田聖子も同じ。
事務所が容姿では勝負できないと考えていた。
華奢な体型で水着姿も絵にならない。
しかしふたを開けてみると弱点をものともせず大成功。

次に登場した中森明菜は肉体美の要素を持っていた。
だがそれが成功の要因ではない。
衣装によっては生かされたかも知れないが。
しかも後年やせすぎて台無しにしている。

見た目の可愛さだけが存在価値。
昨今のアイドル見て、そう感じる人も多いのでは。
韓流スターも同じ、だから日本人と区別がつかない。
みんな似たりよったりで、顔も名前も覚えられない。
時代を代表する顔など誰も思い浮かばない。

山口が去って三十年以上ときが経つ。
その間時代の顔となるスターが何人現れただろうか。
彼女はスターの魅力、価値とは何か。
はたまた女性の魅力とは何かを実証している。

彼女は二枚目スター俳優の若妻となって以来、専業主婦一筋。
マスコミに露出することも一切ない。
スキャンダルとも無縁で、良妻賢母を実証している。
いいかえれば菩薩であることを。