身体美学美学的女性評

吉田都

2020年1月1日

バレエの本場の舞台で長く活躍した。
欧米発祥のバレエは当然欧米が本場。
つまりバレリーナの世界的レジェンド。

同じ身体表現でも日本の舞踊とは大きく違う。
日本文化にバレエの美意識育む土壌はない。
文化も身体も欧米人向きだといえる。
彼女はその欧米文化に大輪の花を咲かせた。

彼女は幼くしてバレエの美に魅せられた。
そして自ら美を実現すべくレッスンに励む。
それだけ美への憧れが強かった。
努力は身を結び、早々に才能が開花。
エリートコースを歩み始める。

高校時に国際コンクールで賞を取る。
その結果英国のバレエ学校に留学する。
そうして本場で磨かれていく。
やがて23才でプリンシパルに上りつめる。
その後22年間不動の地位を占めた。

類まれな才能が世界で花開いた。
経歴、実績が如実に示している。
順風満帆なエリートコースに見える。
しかし彼女自身はそう感じていない。

本人にとっては暗黒の時期があった。
それは彼女を語るとき必ず出てくる。
絶望的な劣等感にとりつかれたこと。

白人の中に入って違いを痛感。
体型、容貌、姿勢などのフォルムが。
彼女たちは努力しなくても美しいと。
鏡を見るのが怖くなったという。

しかし彼女の情熱はそれを乗り越えた。
踊りの実力で白人たちを凌いでいった。
劣等感とはうまくつきあいながら。

テレビ番組で吐露したことがある。
「劣等感を克服して成功〜」と紹介された。
と即座に否定。「克服してませんよ。」

白人たちは彼女をどう見ていたのか。
本人の思いとは違っていた。
一人毛色の変わった子がいる。
違いと同時に才能の片りんも感じていた。
見た目も個性的だが才能も非凡だと。

違う資質の彼女の成功は意義深い。
バレエの美の本質を浮き彫りにした。
白人でなくても表現できるということ。
実証したことがエポックメーキング。
白人たちにも影響与えたであろう。

日本の後輩たちには夢と勇気を与えた。
日本人も世界に通用すると。
以降本場で活躍する日本人が増えている。
もはや稀有な存在ではなくなった。

では昨今の日本人は壁を感じないのか。
実は今も壁が消えた訳ではない。
先駆者の彼女が苦悩した壁は今も存在。

多かれ少なかれ避けては通れない壁。
先駆者と同じ経験をすることになる。
血と文化の違いは厳然と存在するからだ。
他の分野でも同じことがいえる。

しかし乗り越えられることも分かっている。
輝かしい先駆者がいるだけに。
彼女が残した足跡はきわめて大きい。

だがバレエから離れるとごく普通の日本人。
どこにでもいそうで目立つ要素は感じない。
しかし一度舞台に立てば燦然と輝く。

バレエという時間芸術の本質を示している。
輝きは連続した動きの中に表れる。
彼女の価値は写真では伝わらない。

華麗な舞

劣等感の塊といえばあの人が思い浮かぶ。
女優のオードリー・ヘプバーンだ。
容姿への劣等感だった点も同じ。

彼女の容貌は妖精と評されたほど魅惑的。
多くの人がそう思っている。
確かにそれで成功したのは間違いない。

しかし本人は容貌に自信がなかった。
他の美人女優たちほど整っていないと。
体も同じ、貧相で女性美に欠けると。
結局生涯劣等感が消えることはなかった。
晩年にそう語っていた。

彼女は自分を過小評価していたのか。
自分の弱点をよく知っていたのだ。
最初目指したのはバレリーナ。
次が女優、どちらも美女が多い。
比較対照で自分の水準を見極めていた。

ではなぜ他人には魅惑的に見えるのか。
それは彼女の表情美がなせる技。
生き生きととしたキュートな表情。

代表作「ローマの休日」のポスターが示す。
彼女の笑顔が焦点、主題になっている。
まるでブロマイドのごとく。
彼女の個性、魅力の核心をついた演出だ。

彼女の輝きは造形美ではないのだ。
いきいきと動く表情から生まれる。
動きの中に表れる美はバレエと同じ原理。
オードリーと吉田都は共通の表現者?。