身体美学的雑学Fhysical Aesthetics

日本人の審美眼

洗練された美意識は確かな審美眼と一体だ。
美意識の差はそのまま審美眼の差でもある。

人は異性の影響を受けながら自我を確立していく。
性を自覚するには、異性の存在が必要。
美意識も同様、たぶんに異性の目に磨かれる。

女性美も当然その影響が大きいと考えられる。
東洋人男優の欧米での活躍例は少ないがある。
早川雪舟、三船敏郎、ブルース・リー等々。
だが女優で同等の活躍例はほぼなし。
これは女性より男の責任かも知れない。

ミスコンが乱立し、クイーンが腐るほどいる。
しかし世界的なクィーンはごく稀。
女の努力だけで文化が底上げできるのだろうか。
文化を主導する男の審美眼が低すぎるのでは。
審美する側の男性の考えられる問題点は以下。

美人は生まれつき美人の観念
実際は後天的に開発される部分も大きい。
別人のように変わる例も少なくない。
具体的には資質とセンスと努力で決まる。
体形も同様
某タレントの体形見て某有名司会者が言った。
「日本人もここまできたか。」
でも日本人が遺伝的に変化した訳ではない。
欧米発祥の訓練によって開発された結果だ。
演出で大きく変化
素材生かす演出のセンスが見栄えを左右する。
メディアにのる場合はその度合いが強まる。
ドラマの中の女優、写真集のアイドル等々。
それだけの演出が施されている。
ニュース番組のキャスター
ライティング工夫なくきれいには見えにくい。
同じ条件でなければ比較できない。
メディアの映像はそれほど正確ではない。
表情美を知らない
表情美の基準を知らず造形美と区別がつかない。
きれいに見えるのと魅力的に見えるのは別問題。
崩れを認識できない
崩れは造作とは関係なく美形でも起きる。
表情が大きくなると制御できなくなり崩れる。
隠そうとはするが隠しきれないことも多い。
だが普遍的なため崩れとは認識されにくい。
精神論を信じている
表情の美醜は精神の表れと信じる。
心がきれいなら表情もきれいになると。
今も女優が美の象徴と認識
映画の黄金期の発想であり、化石的観念。
今は女子アナやスーパーモデルが脚光を浴びる。
女優の地盤沈下が背景にある。
自分に美意識はない
スポーツできないのにスポーツ評論する人と同じ。
他人に対してはえらい評論家になる。
自分を棚に上げて批評する。

男は女を映し、女は男を映す

人は異性に対して自分の美意識を投影する。
だから異性の好みも人によってまったく違う。
好みは個人の自由、自分の感性を信じればいい?。

問題はその感性が普遍性を持っているかどうか。
普遍性があれば世界中どこでも通用する。
なければそこでしか通用しない。