身体美学身体雑学

身体と劣等感

人は姿形でしか自分及び他者を認識できない。
社会的な同一性の基準も、基本は容姿そのもの。
異形、毛色や肌の違いは異質と見られる。
異質は多数派から阻害されることが多い。

同質と認められても安泰とはいえない。
美の水準に優劣のランクがつけられるからだ。
高い者は優遇され、低い者は差別される。

ときには人格まで否定され、嘲笑を受ける。
精神重視の日本人も現実は容姿が基準。
実態は欧米と変わらず、基準が違うだけだ。

美形への憧れは自然な欲求であり、あって当然。
しかし容貌や身体が万事水準の高い人はごく稀。
大半の人は不満を抱え、劣等感抱いている。

劣等感は元を消せない限り一生つきまとう。
つきあい方にその人の知性、人格が表れる。

性は自信の源?

顔は人格の看板であり、証明書でもある。
人格の目安にもなれば、容姿の基準ともなる。
美男美女とはもっぱら美貌を指す。
しかし美貌だけでは魅力として不完全だ。

造形美として見ても体とのバランスが不可欠。
体が基準を満たして一つの美、魅力が完成する。
基準から外れるとなまじの美貌は逆に空しさ誘う。
両方基準以下よりはましではあるが。

基準とは健全な発達発育をしているかどうか。
冒頭で記した社会的同一性の基準ともなる。
基本はサイズと形、つまり人体の基本型。
しかし基本を満たすだけでは不十分だ。
例えば八頭身だとしてもまだ十分ではない。

とどめの条件は性徴だ。
男女共に性徴が肉体美の大きな要素となる。
異性にとっては魅力の象徴であり、互いに求める。
性徴が乏しいと幼児体型などと嘲笑される。

性は自我の基盤ゆえに、自尊心の拠り所でもある。
性を具現化する肉体は、自尊心の拠り所にもなる。
発現が弱いと美形でも自分に自信を持てない。
劣等感に悩む美男美女も多いに違いない。

例えば女性の胸は目立ちやすいシンボル。
洋服は胸を強調するデザイン性があるだけに。
なまじ美貌で注目されたらよけい悩ましい。
一方巨乳も悩みを生むが、劣等感は生まない。

性を認められない限り自信は持てない。
「女としての魅力はないが人柄はいい。」
これは誉め言葉?、本人は傷つくだけだろう。
男なら「いい人だが男としては頼りない。」と同じ。

「お尻小さいね」「お尻大きいね」
仮に言われた場合どちらがましか?。
どっちもセクハラだが前者の方がきついだろう。
スリム指向の現代なら喜びそうだが。
でも後者の方が女として自信を持てるだろう。
女の象徴、証しなのだから。

男も形が違うだけで基本は同じだ。
美男子であっても低身長なら劣等感免れない。
高いだけでも駄目。貧弱な体では長身も帳消し。
か細い腕、薄い胸板等は女たちの嘲笑を誘う。

人格を表す顔と性を現す肉体が一致。
両方なければ魅力は成立しない。
顔にひかれ、体で冷めることがありうる。
逆に肉体美でも顔で冷めれば同じ。

魅力の実体

ミスコンは顔と体に等級をつける品評会。
審査対象はまさに上記の構造原理そのもの。
野菜や家畜の品評会とおおむね同じだ。
知性も審査対象というのは建て前。

昨今は世界的にミスコンが衰退している。
人々がそれほど注目しなくなった。
造形美の価値に限界が見えているのか。

顔も体も美形なら完ぺきだし、自信も持てる。
誰もが価値を認めるだろう。
だがそれでも絶対的なものではない。

完ぺきな美貌と肉体を誇った女優がいた。
世紀の美女ともいえるエリザベス・テーラーだ。
当然ながら彼女は自信に満ちていた。

その対極と言えるのがオードリー・ヘップバーン。
体や容貌に強い劣等感を持っていた。
しかし完ぺきなリズを凌ぐほどの輝き放った。
その魅力は世紀の妖精と讃えられている。

なぜ彼女は輝けたのか。
日本人はオードリーの容姿を完ぺきと思うだろう。
しかし最初から成功した訳でなく下積み時代がある。
リズは圧倒的美少女ぶりで子供時代にすでにスター。
苦労したオードリーとは経歴も対極。

下積みから「ローマの休日」で一躍スターに。
なぜ無名に近い彼女が抜擢されたのか。
オーディションを受けた女優の一人だった。

カメラの前で演技をするテストを受けた。
テスト終了後も実はカメラが回っていた。
演技でない素の姿も参考にするために内緒で。
ところが彼女はそれに気づいてしまった。

カメラに向かっていたずらっぽく聞く。
「まだ撮っているんでしょう。」
何を撮りたいのとばかりはしゃいで見せた。
天真爛漫な少女が悪ふざけするように。

結局終了後の場面が決め手になったと言われる。
そのときの明るい笑顔は可憐だった。
同作品のポスターも彼女の笑顔が中心。
そこに彼女の魅力の核心が見てとれる。
妖精と言われる所以でもある。

大スターになっても劣等感は消えなかった。
晩年になっても告白している。
しかし彼女の輝きは誰にも負けない。
魅力が単なる美貌や肉体美ではないからだ。