吉永小百合2014/1
昭和を代表する女優、歌手の一人。
特筆すべきは最後のアイドル女優であること。
映画の絶頂期から斜陽に向う手前で登場、銀幕を飾る。
可憐な魅力で時代を象徴するスーパーアイドルとなる。
清純派の代表でもあり、不動のイメージ。
昨今は死語のごとく、あまり聞かない表現だが。
十代からスターとして多忙な中、大学(早稲田)を卒業。
知性もイメージの一つかも知れない。
可憐で知的な清純派として存在感を高める。
時代のマドンナともいえるカリスマ性を持つに至る。
その後も一貫してイメージを崩していない。
欧米の女優でいえば、オードリー・ヘプバーンに近い。
オードリーも気品のある淑女のイメージを貫いた。
世紀の妖精と称される所以だ。
男優なら高倉健に近いだろうか。
伝説的なイメージを崩さないという点で。
一貫性故か人気の根強さも特筆に値する。
いいかえるとカリスマ性の根強さ。サユリストは不滅!。
ファンの通称だが、今も変わらないファンが多いという。
すでに半世紀経過しているにもかかわらず。
彼女は歌手としても多くのレコードを出している。
それでも女優のイメージの方が強い。
映画の時代の生え抜きとして、女優業が主体にだからか。
彼女以降、アイドル女優は生まれていない。
魅力的な女優がいなくなったいうことではない。
女優にアイドル性が成立しなくなったのだ。
時代の主役はアイドル歌手に移行していく。
代表の一人が山口百恵。彼女は女優の仕事も多かった。
それでも本業は歌手、輝きの主体は歌にある。
最近はスター自体生まれなくなってきている。
いいかえるとカリスマ性が。
言葉自体はよく聞くが、本物はきわめて少ない。
NHKの大河ドラマのヒロイン役も例外でない。
顔も名前も同ドラマを見る人しか知らない。
見ない人たちの間では、無名に等しい。
同ドラマ自体の人気も低落傾向にある。
女優の価値は個性に集約してきている。
どんな個性を演技、発揮できるかが存在価値。
今や大女優の泉ピン子も元はお笑い芸人だった。
彼女はどんな美女にも負けない存在感を発揮できる。
容姿はあまり関係ないのだ。
結論として吉永小百合の再来は、もはやありえない。
彼女は時代が求めていたときに登場した。
スターに共通する基本的要素だ。
下の画像は最近の広告。
往年の可憐さから大人の気品、マドンナの気品変わらず。