安室奈美恵2016/7
平成随一のスター歌手。
最初は女性グループの一員としてデビュー。
しばらくは売れない時代が続く。
やがてジリ貧打開のためグループの形態を変更。
彼女だけを前面中央に立てて引き立たせる。
他のメンバーはバックダンサー、引き立て役。
変更にしがたいグループ名も改変。
当初は冠なしのスーパーモンキーズ。
変更後は安室奈美恵withスーパーモンキーズ。
するとほどなくしてスターの階段登り始める。
彼女の潜在能力が存分に発揮されていく。
他のメンバーは変更を不満なく受け入れたという。
つまり彼女の突出した実力を皆認めていた。
結果的に彼女は一人のスーパーモンキーとなる。
脇役となったモンキーズとは徐々に離れていく。
ソロ主体となり、ソロとして成長していく。
スターとしての際立った個性、特徴はダンス。
単なる歌の振り付けではなく、本物のダンス。
歌手なれどダンサーでもある。
つまりどちらがメインというより両立もしくは一体。
どちらも欠かせない表現手段。
歌とダンスの融合であり、いわば歌うダンサー。
これは時代の文化でもある。
世界を見ても同じスタイルのスターが全盛。
マドンナやマイケル・ジャクソンなどが代表例。
レディー・ガガもしかり。
安室はマイケルより妹のジャネットに憧れていた。
中森明菜はバレエの素養を生かし、美を表現。
歌の振り付けに芸術性を織り込んだ。
歌唱力と相まって、表現力を高めた。
安室より一時代早く、先駆者と言える。
大御所B・ストライサンドはダンスも踊れるが歌は別。
視覚より圧倒的な歌唱力で観客を自分の世界に引き込む。
古い、新しいではなく音楽的世界、スタイルの違いだ。
下の二つの画像はダンサーとしての資質を反映している。
立ち姿で姿勢を作ると水をえた魚のように自己表現できる。
五体に身体表現するための神経が張り巡らされている。
手足の先にまで美意識が通う。
姿勢を作らないと並みの人になる。
身体表現する方が表情も生きてくる。
可愛い笑顔を振りまくより、板についている。
本人も心得ているのか、笑顔のグラビアは少ない。
ダンサー安室の個性、特徴だ。
沖縄出身だからか、米国文化の影響を強く感じる。
日本より米国の歌手の影響が色濃い。
ダンスはもとより歌、音楽についても。
ただしまったく同じでもない。
身体表現はしても、身体の露出はしない。
あちらは露出、強調がR指定が必要なくらい派手。
マドンナ、マライア、ビヨンセ、ガガなど一流どころが。
奥底に日本の文化が根付いているからか。
あるいは身体性の違いを意識してか。
確かに日本人が真似しても馴染むとは思えない。
彼女は実力、実績からして平成のスーパースター。
彼女以後、匹敵するスターは見当たらない。
最後のスーパースターなのか。
彼女自身も国民的歌手ではないかも知れない。
誰もが彼女の歌を知っている訳ではない。
代表曲をどれだけの日本人が歌えるか。
知らない人の方が多いかも知れない。
それもそのはず曲のほとんどが英語名の英語表記。
日本語は日本語混じりがわずかにあるだけ。
逆に英語なしはゼロ。アルバムはすべて英語名。
知らない人なら「どこの国の歌手?」と聞くだろう。
年配の人が知れば疑問を感じるだろう。
日本人なのになぜ日本語を使わないのか?と。
彼女の音楽性が洋楽志向だからか。
あるいは時代の文化なのか。
実績からして両方と考えるのが妥当か。
スーパースターは時代の表現者でもあるからだ。
誰もが口ずさむ歌を歌う歌手、国民的〜。
もはや成り立ちえないのか。
平成を代表する安室奈美恵も当てはまらない。