山口百恵2013/9
1970年代を代表する歌手、女優。
実力、人気、カリスマ性を備えていた。
その存在感はアイドル歌手の枠を超えていた。
だが活動期間は短く7年半ほど。
しかもその大半が十代という若さ。
その短いキャリアで紅白歌合戦は6回も出場。
中国でも日本同様の人気をはくした。
往年の李香蘭の再来のように。
太く短く燦然と輝き、去っていった。
スターの座に一切の未練を残さず。
しかし少女歌手のイメージは薄い。
可愛さを売る路線ではなかったからか。
成熟した大人の女性の印象が強い。
それこそ彼女の個性、存在感、カリスマ性。
少女の可憐さというより、女性の神聖さを感じさせる。
年齢には不釣り合いな母性のような。
その個性からやがて菩薩といわれるようになる。
せいぜい二十歳前後の小娘がである。
有名写真家が好んで被写体にした。
彼女を撮ることがステータスであるかのように。
某有名写真家は、撮影中存在感に圧倒されたという。
百戦錬磨のプロがである。
彼女のグラビアは時代を象徴する肖像となった。
ミュシャのサラ・ベルナール、ウォーホルのモンローの如く。
では彼女はすごい美女だったのか。
あるいは素晴らしいプロポーション?。
どちらでもない。
むしろ普通の人だと言って過言ではない。
美女なら他にいくらでもいる。
ナイスバディのタレントも。
だが誰も山口百恵にはなれない。
束になってもかなわない。
彼女の価値はそんなところにはない。
彼女と入れ替わるように登場した松田聖子も同じ。
事務所が容姿では勝負できないと考えていた。
華奢な体型で水着姿も絵にならない。
しかしふたを開けてみると弱点をものともせず大成功。
次に登場した中森明菜は肉体美の要素を持っていた。
だがそれが成功の要因ではない。
衣装によっては生かされたかも知れないが。
しかも後年やせすぎて台無しにしている。
見た目の可愛さだけが存在価値。
昨今のアイドル見て、そう感じる人も多いのでは。
韓流スターも同じ、だから日本人と区別がつかない。
みんな似たりよったりで、顔も名前も覚えられない。
時代を代表する顔など誰も思い浮かばない。
山口が去って三十年以上ときが経つ。
その間時代の顔となるスターが何人現れただろうか。
彼女はスターの魅力、価値とは何か。
はたまた女性の魅力とは何かを実証している。
彼女はスター俳優の若妻となって以来、専業主婦一筋。
マスコミに露出することも一切ない。
スキャンダルとも無縁で、良妻賢母を実証している。
いいかえれば菩薩であることを。